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個展に寄せて

 


                      中山公男 西洋美術史家 群馬県県立高崎近代美術館館長 

 ヴェネツィアやブリュージュを描く水彩は技法の自在さでも、祝祭空間の幻想度の高まりでも目を奪うだろう。 だが、何点かの油彩群に注目してほしい。心を奪い、慄えさせ、ついには沈黙させる何かをそなえた作品である。長期、ときには10年以上も描きこまれたそれらは、展覧会直前まで描かれるであろうから、私の知っているのは未完成の写真でしかないが、そこには江花道子という画家の全存在、その証しとなるものを実見できると私は信じている。 題材的にいえば、歴史の明暗を石と煉瓦の壁に秘めた都市の面影。イタリアのいわゆる日常的に気分、音楽的な盛り上がりを象徴するかのような、彼女との親交篤い古楽器の名主たち。古美術、とりわけプリミティブの聖らかさに範を見出そうとする「聖母子像」。三者は、どこかで徹底しているし、つねに内容は差し換え可能のようである。つまり、ここには、彼女がイタリアに渡ってかなりの年月の苦悩、困窮のなかで、そして日本とイタリアのふたつの文化のあいだで見出したもの、それこそ彼女が世に問うべきすべての課題へのアプローチがあると私は思う。

 彼女は、私が日大で美学や美術史を教えていた頃の学生だが、在学中に独立賞を手にし、1962年には安井賞展に出品している。間もなくローマ留学ということになるが、今泉篤男、河北倫明、野口弥太郎など諸先生の知遇を得ていたから、さっさと留学を終えれば、輝かしい画歴を重ねただろうに。何故? 厚い堅固な下塗りを磨き、それにおつゆ塗りをほどこすという過程を何度も積み重ねる彼女の油彩の技法は、視力、呼吸器、肝機能への障害のため医師によって目下禁止されているらしい。そんな事情を察しながら私は油彩の出品を促し、彼女もそれに応えた。いわば何でもありの現代アートの横行のなかに、こんな風な、古風で因果な芸術表現 があってもいいのではないか。

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